民藝

民藝を愛する心が守った郷土の玩具

香川県高松市内、江戸時代初期の大名庭園を守り伝える特別名勝・栗林公園。その園内に昭和40年(1965)開館の讃岐民芸館があります。日本各地の伝統工芸品や生活道具、郷土玩具など約4000点を所蔵する、民芸館としては珍しく県の事業で生まれた空間です。
この民芸館の設立を県に提案し、展示品収集のために全国を奔走したのが、讃岐かがり手まり保存会の生みの親、荒木計雄でした。県の職員だった計雄は民藝運動にも熱心で、その活動の中で、地元に伝わる木綿手まりの存在を知り、継承と保存のための調査研究に乗り出したのです。
江戸時代、地元の名産品である木綿の糸を草木染めした手まりは、西讃(讃岐地方西部)地方で、盛んにつくられました。しかし、明治時代にゴムまりが普及すると、素朴な手まりづくりは次第に忘れ去られていきます。
計雄が調査をはじめた当時の西讃地方には、手まりをつくれる人はほとんどいませんでした。そこで、民藝運動の先輩である丸山太郎氏(松本民芸館の創始者)の叔母にあたる人からかがり技法の指導を受け、また木綿糸の草木染めは、『少年民藝館』などの著作でも知られる外村吉之介氏(当時は熊本国際民藝館館長)や愛媛県染織試験場に教えを請うなどして研究を重ね、消えかけていたわざに息を吹き込みました。
昭和52年(1977)、"讃岐かがり手まり"と命名、昭和58年(1983)には、妻の八重子とともに観音寺市にて讃岐かがり手まり保存会を立ち上げます。そして、4年後の昭和62年(1987)、香川県の伝統的工芸品の指定を受けました。
現在は、荒木永子が二人の遺志を受け継いでいます。

1996年山陽新聞
2001年高知新聞

讃岐かがり手まり保存会と立ち上げた、荒木計雄と八重子の活動を伝える新聞記事。左・1996年山陽新聞 右・2001年高知新聞